いじめ加害者とその後

 

最初は彼のことを「変わった人だな」としか認識していなかった。

しかし、その気持ちがみんなと同じだとわかった瞬間、集団は一気に排他的になり、徐々にその行動は正当化されていった。

 

最初は、彼が好きな子に話しかけた時「〇〇ちゃんを守れ〜!」というような行動がとられることで、集団の敵としての認識された。

次に、敵である彼への排除活動が始まった。全員で無視することや、仲間外れにすることなどが当てはまる。

そして、そこに歯止めが効かなくなった人達によって、個人的な精神攻撃や物理的攻撃が行われた。

 

そのうちの一人が私である。

 

 

 

私が彼のことを「変わっているな」と思った出来事は、彼に告白をされた時だった。好意を異性に向けることへの意味や、状況の理解のできなかった私は、彼のことを「変わっている」、もしくはそれを超えて、不快だと感じていた気もする。

 

このように、私自身の気持ちの原因や発生源はわかるが、周りの人たちが何故彼を嫌っていたのか、今になってはわからない。皆が揃えて言っていたことは「気持ち悪い」だったことだけはわかる。

 

私には共犯者(以後K)がいた。一緒に悪口を言ったり、計画を練る仲間だ。Kとの出会いが、私のいじめのスタイルを変えた。

菌呼ばわりや、彼の好意を踏みにじるようなイタズラ、無視などをみんなで行っていたが、Kと意気投合してからは、Kと二人で行うようになった。

二人で行ういじめはさらに悪質だった。彼に対して友達のように振る舞いつつ、執拗に傷つけるような発言をしたり、コミュニケーションを装って力強く叩いたりするなどをした。

 

そしてある日、暴力をふるった。いいや、それまでの行動にも暴力は含まれていたのだが、この時は本当に、ただの暴力だった。後ろから押し倒して、倒れ込んだ彼を蹴りまくったのだ。

加害者である私なんかにも愛想良くしてくれていた彼が、初めて目の前で苦痛の表情を浮かべた。私は笑いながら逃げ去った。

 

次の日、彼と私とKは職員室に呼び出された。彼が親に相談し、学校に連絡してくれたからである。

私とKは、先生に「何故こんなことをしたのか」と質問された。「仲良くするつもりだった」「遊び感覚だった」など、しっかりと理由があったKと違い、私には何の理由も思いつかなかった。ただただ目が覚めたような、自我が戻ってくる、またはどこかへ飛んでいったような感覚だった。

この日を境に、あんなにも彼に強く執着していた私が、あっけなくいじめをやめた。

 

私とKがいじめをやめても、彼の孤立感は完全に消えることがなかった。陰で悪口を言われていたり、ガキ大将風の少年に強く当られることが数回あった。しかし、学年が上がるにつれてその風潮は薄くなっていき、彼の周りに友人が増えていった。しばらく顔も合わせられなかった私に偶然であった時、笑顔で会釈をしてくれたことさえあった。

 

 

現在、彼は元気にしているのだろうかと考える。新しい環境でまたいじめに遭っていないだろうか、はたまた超パリピナウいヤングになってはっちゃけているのだろうか、今でも時々心の傷がふいに開いて、苦しんでいるのではないだろうか、と。

 

いじめの加害者は間違いなく私である。確かに周りの人々も同罪という考え方もあるが、直接傷つけた人間は私とKだけだろう。何故なら、彼が当時親に相談したのは私たちだけだったからだ。

私はとても謝りたい。謝らなければいけない。当時職員室で謝罪した時以上の謝罪をしたい。これは義務感とかではなく、ただそう思うのだ。「申し訳ない」という感情だ。でも、謝ったところで彼の傷が癒えるのか、またはせっかく癒えかけている傷を開いてしまう愚行になるのでは・・・とグルグルと悩み続けている。

「許されるとは思っていない」という加害者側の意見も目にしたことがあるが、私はそう思わない。そう思っていたら謝ろうだなんて思わない、という意見だ。私は後悔していて、申し訳ないと思っていて、彼の傷をどうにかして癒したい(私の手で、という意味ではない)のだ。

確かにこれは自己満足に近いのかもしれない。自分が辛いから、彼が幸せであることを確認して楽になりたい、幸せじゃなかったらなんとか幸せになってもらわなきゃ困る、といったような。だからと言って、許されないから謝らない、許されないから謝るだけ謝りたい、というのは違う気がする。そりゃ許されたい。許されたいとも。でも、無かったことにするつもりはない。許されないなら許されないで、「許さない」と言って欲しいのだ。そうすれば多少彼の恨みがはらせるかもしれないし、私としても、彼との適切な距離を測れるからである。まあ、人間そんなうまくいくわけないのだろうけれど。あわよくば二人で、または三人で、何故あのようなことが起きたのか、あの時どんな気持ちだったのかを語り合って、私の精神をズタボロにしてほしい、なんて思う。私は罰が欲しいのかもしれない。人間らしく利己的で強欲である。

 

 

 

 

この内容を書きとめようと思ったきっかけになったのは、同窓会のお知らせである。

いじめをしていたのは小学2年生〜3年生にかけての時期であるため、年月がだいぶ経ってしまっているが、私がこんなにも鮮明に覚えていることを彼が忘れるわけないのだ。

開催される時期はまだ未定だが、おそらく2年後である。

それまでに、どうやって彼に話しかけるか、まず話しかけるか否か、いや、出席するかしないかから決断していく必要がある。彼にいつ殺されてもいいようにと身構えてきた数年間を経て、残りの2年間、意味のある決断をしたいと思う。

 

 

 

 

 

PS 

いじめをステータスにしている人がいるの、私知ってるからな。

何のステータスにもなってないからな。

ただただ自分が愚かで惨めな人間であることを晒しているだけだからな。

 

 

なぐり書きで誤字脱字、不自然な文章があるかもしれませんが何卒。

さようなら。また他の話題、他の場所でお会いしましょう。